*

風の波紋・字幕付き

風の波紋・字幕付き

バリアフリー上映(日本語字幕付き)

2015年 / 日本 / カラー / 99分 / BD

監督:小林茂 撮影:松根広隆 現場録音:川上拓也 音響:菊池信之 編集:秦岳志
配給:東風

「阿賀に生きる」の撮影で故郷・新潟を見つめた小林茂が、透析生活になり、あらためて自分の原点の山村にカメラを向けた新作。豪雪地域の古民家へ移住した夫婦は茅葺の家を直し、有機無農薬で米を作り生活してきた。移住者をふくめた村人たちの「新たな結い」といってもよい相互扶助が描かれる。2011年3月12日、長野・新潟県境地震が発生。取り壊される古民家。移転する人々。夫婦の家も全壊するが再建を決意する。毎年の農作業も始まった。一風変わった<寸劇的演出>を取り入れ、不可思議な映画世界を表出する。

©Kasama film
©Kasama film

公式サイト

映画『風の波紋』公式サイト

予告編

監督プロフィール

小林茂
1954年新潟県生まれ。「阿賀に生きる」(佐藤真監督)の撮影により日本映画撮影監督協会第1回JSC賞を受賞。同映画は93年山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞をはじめフランス・ベルフォール映画祭最優秀ドキュメンタリー映画賞など、世界各国で多くの賞を受賞。監督作品として、障がい児もあそぶ学童保育所三部作「こどものそら」、重度障がい者の自立生活を描いた「ちょっと青空」、重症心身障がい者の世界「わたしの季節」(毎日映画コンクール記録文化映画賞、文化庁映画大賞ほか受賞)、ケニアのストリートチルドレンの思春期を描いた「チョコラ!」など。作品が全国公開され反響を呼ぶ。著書に「ぼくたちは生きているのだ」(岩波ジュニア新書)など多数。脳梗塞や透析治療という病気をかかえながら新たなドキュメンタリー映画世界に挑んでいる。新潟県長岡市在住。

右が小林監督
Top-2©橋本絋二

過疎化や高齢化などの問題を抱える新潟県の豪雪地帯に暮らしてきた人々や、そこに移住した人々の生活を通して、苦悩しながらも、人間がお互い助け合いながら自然と相対して醸し出される「喜び」や「精気」を淡々と描いてみたい。「人間力」のすばらしさを伝え、農山村の生活や生き方、自然とつきあうことに関心を持ってもらいたい。

小林茂監督より

私は2002年に脳梗塞で倒れ、病気を抱えながら、重症心身障害児(者)施設「びわこ学園」のドキュメンタリー映画「わたしの季節」(2004年、監督:小林茂)を完成させることができました。その後、体調が悪化し、腎不全となりました。
その体調を抱えながら取材したアフリカ・ケニアのストリートチルドレンの生き様や思春期を描いたドキュメンタリー映画「チョコラ!」(2008年、カサマフィルム、監督:小林茂)の製作途中から、人工透析治療となりました。
また、映画「阿賀に生きる」「阿賀の記憶」(監督:佐藤真、撮影:小林茂)を共に作ってきた畏友、佐藤真監督が2007年に急逝し、私は心に深い喪失感を抱くようになりました。  

このような状況で、私は映画制作をなかばあきらめておりました。

松之山や津南地域には友人が多いのですが、そこに10年前から東京の友人、木暮茂夫さんが移住し、茅葺の古民家を修繕しながら、有機無農薬農業をやり、暮らしておりました。
あるとき、松之山を訪ねたときに、友人らが集まってくれ、交流のひと時を持ちました。
その翌日の早朝、夜露に夏の日差しが反射して、草木はきらきらと輝いていました。
 私はその瞬間、ある啓示のように、「映画を作ってみたい」とひらめきました。この友人たちを撮りながら、山村に生まれた私の原点の意味を探ってみたいと思ったのです。

 私は、映画の準備に取り掛かりました。「映画製作協力のお願い」のパンフレットを作り、これまでの映画つくりと同様、広く、賛同者を募りながら、2010年11月7日、クランクインしました。その途中、2011年3月12日には新潟・長野県境地震が発生しました。友人たちも被害を受け苦境に追い込まれました。その回復の過程が映画に滑り込みました。茅葺や農作業でも、「新たな結い」といってもよいような相互扶助が描かれました。また、世代を超えた「受け継ぐ」形が写り込みました。

私は映画を作る意味、生きる意味を考えながら撮影を進めて参りました。
 
 この映画が、人が仲間や自然とともに生きる苦しみと悲しみと喜びを描き、登場してくれた人々や、映画を見る人々に、「明日の希望」をささげてほしいと願っております。
 
2015年3月吉日
「風の波紋」監督:小林茂

映画祭スタッフより

 常に楽な方へ、難儀の少ない方へ流れる。それが人間の性である、と思っていた。もちろん、万人がそうとは限らないが、それを潔しとしない者はよほど偏屈な、変り者である。
 これは、その「偏屈な、変り者」たちを被写体としたドキュメンタリーであった。

 都会の暮らしを捨てて、十日町市のとある集落に住み着いた小暮夫妻。彼らは毎年地獄のように降り積もる雪を掻き分け、茅葺の屋根を直し、春になれば農薬も除草剤も使わずに稲を育てる。私の住んでいるところも「目くそ鼻くそ」レベルで立派な田舎であることを承知の上で言うが、彼らの住んでいる集落はいわゆる「ど田舎」、町育ちと自覚している私が忌み嫌う「超―っど田舎」である。過疎化が進み、荒れた田畑が目立ち、今にも崩れそうな民家がそこここにある。
この集落を出ていった人たちは口を揃えて「この土地は一体、将来どうなってしまうのだろう」と不安を唱えるが、これに対して呑気に「あんたたちが出ていったのがいけないんでしょ」などと言うのは無神経にも程がある。この土地は、厳しい自然に晒されているのだ。冬には4メートル近くも雪が降り積もり、家の1階は完全に雪に埋もれてしまう。生きていくこと自体が、この土地ではサバイバルに等しいと感じる。
 そんな土地に、都会の暮らしを捨て、何故、小暮夫妻は住むようになったのか。そして、ここを出て行かない人たちにはどのような思惑があるのか。自然の風景と農業の営みに癒しを求めているのか。世知辛い都会の暮らしには馴染めないのか。杓子定規な都会の風習に自らがそぐわないのか。―――その理由は無数に思い浮かぶが、どれも想像の域を出ない。そして、理由を考えること自体が不毛であることに、映画を観ているうちに気づかされる。
 小暮夫妻の住む集落のそばには、コンビニはおろか、スーパーも、農協もない。もちろん、カラオケボックスやら居酒屋やら、レンタルDVD屋もない。あるのは、深すぎる緑と田んぼ。そして、「人」である。
 何もかもを自分たちでしなければならない環境だからこそ、近所の人同士が助け合わなければならない。近代的な娯楽が無いからこそ、何か祝い事があれば皆が集い、酒を酌み交わし、歌い、笑う(そこで尺八を吹く者もいる)。人を助け、人を楽しませ、人を笑わせる。人と人とが向き合って、濃密な繋がりが生まれてくる。
 もちろん、いいことばかりではないだろう。我々が昨今、声高に尊重を叫ぶ「プライバシー」とやらは、集落内では恐らく皆無である。過干渉、そして、耳を塞ぎたくなるほどの近隣の噂話。それらによって、多少なりとも摩擦が生じることもあるだろう。
しかし、「個」の尊重を求め、我々が削ぎ落としていったものは、一体何だったのか。日本社会の「原風景」とも言えるコミュニティの姿に触れるにつけ、我々ははっとする思いに囚われる。地域の人間関係の煩わしさから逃げ、「個」を守ろうとし、「個」であっても暮らせる豊かさと引き換えに、私たちは、もっと大切なものを失いはしなかっただろうか。なぜなら、「個」を追い求めても、結局人は「個」のままで生きることはできないからである。

この映画に出てくる豪雪地帯の人々は、押し並べて逞しい。いや、「逞しい」などという言葉で一括りにしてしまうこと自体がおこがましいと感じる。それを承知で言うならば、生きることそのものに全霊を注いでいる。
どれ程、越後の雪雲が彼らの上に深い雪を降らせようと、そこに住む彼らのエネルギーを枯渇させることはできない。ここに至るまでに、想像を絶する苦難があったにせよ、彼らの笑顔は輝いている。都会、もしくは街に暮らす人々を、彼らの笑顔は眩しく照らし続けるだろう。そして、彼らの姿から、軟弱な「町の者」は、少なからず、力をもらえる筈である。
(30代 女性)